さりとていまは

2005年5月10日 読書
題名に意味はないのか

「痴人の愛」っていう映画がやっていて、深夜にもかかわらず最後まで見てしまった。
原作は谷崎潤一郎のすげー古い文学作品だったりしちゃったり。
これが書かれた当時の時代背景はわからないけど、大正から昭和にかけての作品なので、当時としてはぶっ飛んだ作品だったのではないでしょうか。
工場に勤める平凡、いやかなり内向的な男が15歳のナオミという女性を身請けして自分の理想の女性に育てる。
が、育てたつもりがとんでもない手に負えない女性に変身するというような。
ナオミ=悪女の代名詞みたいな元になった歴史的作品とでもいっとこうか。
てか、もう本の内容忘れちまいました

この本はじめて読んだのは、まだ十代の頃で、当時は女の子とまともにつきあったこともなかった。
ので、本を読んでいるとき、こんな女とっとと家から追い出しちまえばいいのに。なんて思ったもんだ。
しかし、女性の怖さを少し知った今となっては、この物語の中でナオミに翻弄される男どもの気持ちがわかる。
もしかして、もっとたくさんの女性とつきあった経験があればこんな女に翻弄されることはないのだろうか。

ところで、こういうまだ男とつきあったこともない若い女の子を自分の理想の女性に育てあげるというような、そんな妄想チックなもんは男の欲望として誰の中にも少なからずあるんだろうか。
要するに「俺色に染めてやる」的な子供じみた感情のような。
考え方が古いな…
でもこの物語に描かれているこの部分は、なんとなく現代のゲーム感覚的なものを連想させる。
ほれ、たまごっちのどんなエサをあげるとなんとかっちに成長するみたいな…。
言うに事欠いてたまごっちかよ!
主人公の男も会社やそれ以外の社会とあまり接することなく、自分の家でせっせとナオミに英語の勉強やら、奇抜な服を着させたり、写真を撮ったり。
現代に通じるような歪んだ感覚が大正、昭和初期の物語としてあったというのが驚くというか。
いつの時代も変わらないのかなって思った。

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