The Best of Blur
2005年10月3日 音楽
Blur CD Food/Virgin 2000/11/21 ¥2,210
Beetlebum
Song 2
There’s No Other Way
Universal
Coffee & TV
Parklife
End of a Century
No Distance Left to Run
Tender
Girls & Boys
Charmless Man
She’s So High
Country House
To the End
On Your Own
This Is a Low
For Tomorrow
Music Is My Radar
LondonのHMVでセールをやってたので買いました。
このジャケットに使われているイラストなんだけど
The National Portrait Galleryにも展示されていたんだよね。
確かにポートレートと言えばポートレートかもしれない。
でも油絵で描かれたいわゆる肖像画と同じように展示されている
のを見たら、英国らしいと思えた。
ジャケットのPOPさとはうらはらにシリアスな曲が多いな。
でもこの音楽もジャケットのPOPさも好きだけどね。
Beetlebum
Song 2
There’s No Other Way
Universal
Coffee & TV
Parklife
End of a Century
No Distance Left to Run
Tender
Girls & Boys
Charmless Man
She’s So High
Country House
To the End
On Your Own
This Is a Low
For Tomorrow
Music Is My Radar
LondonのHMVでセールをやってたので買いました。
このジャケットに使われているイラストなんだけど
The National Portrait Galleryにも展示されていたんだよね。
確かにポートレートと言えばポートレートかもしれない。
でも油絵で描かれたいわゆる肖像画と同じように展示されている
のを見たら、英国らしいと思えた。
ジャケットのPOPさとはうらはらにシリアスな曲が多いな。
でもこの音楽もジャケットのPOPさも好きだけどね。
俺がLondonで買ったのとは違うのだけど
Waterloo Sunsetという曲を授業で扱ったときに聞いてすごく気に入った。
The Kinksの存在は知らなかったのだけど、むこうではBEATLESと同じくらい人気があるんだとか。
年代的にも同じくらいの活躍していたバンドらしいです。
Waterloo Sunsetという曲を授業で扱ったときに聞いてすごく気に入った。
The Kinksの存在は知らなかったのだけど、むこうではBEATLESと同じくらい人気があるんだとか。
年代的にも同じくらいの活躍していたバンドらしいです。
焼肉はむこう半年いりません
2005年10月1日 In my life非常に脂っこい焼肉を夜中に食べたおかげで
胸焼けしまくりでなかなか寝付けず、明け方4時ぐらいまで眠れずに唸っていた俺。
やっぱり歳なんだな。
もっと若い頃は、どんなに脂っこいお肉を食べたところでどうってことなかったのに。
むしろ脂っこいお肉が大好きだったのにね。
まんじりともしない眠れぬ夜を過ごした俺が
思わず呟いた言葉は
焼肉はむこう半年いりません…。だった。
Londonのfish&chipsを食べ続けた俺でも
昨日のお肉はきつかった。
ほとんど眠れず、せっかくの朝食も食べられずホテルを後にして
有頂天の彼女とは反対のローテンションの俺は一日ゲーセンやら買い物やらに振りまわされたのであった。
胸焼けしまくりでなかなか寝付けず、明け方4時ぐらいまで眠れずに唸っていた俺。
やっぱり歳なんだな。
もっと若い頃は、どんなに脂っこいお肉を食べたところでどうってことなかったのに。
むしろ脂っこいお肉が大好きだったのにね。
まんじりともしない眠れぬ夜を過ごした俺が
思わず呟いた言葉は
焼肉はむこう半年いりません…。だった。
Londonのfish&chipsを食べ続けた俺でも
昨日のお肉はきつかった。
ほとんど眠れず、せっかくの朝食も食べられずホテルを後にして
有頂天の彼女とは反対のローテンションの俺は一日ゲーセンやら買い物やらに振りまわされたのであった。
Ring
2005年9月30日 In my lifeLondonで買った指輪を彼女に渡した。
けして高い物でもなく、今の自分に見合った値段の指輪を買ったつもり。
すごく喜んでくれたのは良かった。
ペアリングなんて自分の中ではありえないことだったのに
思わず買ってきてしまったのは
きっと1ヶ月も置いてけぼりにしてしまった罪悪感が
多少なりとも自分の中にあったからなんだろうな。
まぁ、最初はペアにするつもりなんてサラサラなかったのだけれども。
あいかわらず暴走気味の彼女
困ったもんだ。
俺の意見を聞くこともなく勝手にビジネスホテルに泊まる手配してるし。
ビジネスホテルなんて泊まってどうするの???
週末のビジネスホテルは、出張で地方からでてきたサラリーマンでごったがえすし。
カウンターには宿泊の中国人がもめて列をなしてるし…。
ちなみになんでビジネスホテルなんて選んだの?と聞いてみたら
たまたま見えたから。
あと朝食ついてるし。
あ、そうですか。
夜11時に近くの焼肉やへでかけて行った。
なんでそんな遅い時間なったのかというと。
ホテルの近くで配ってたHOTPEPPERに、近くの焼肉やが午後11時以降に入店すると、食べ放題半額!
と書かれていたから。
それでしこたま焼肉を食べたのだけど、このお肉がものすごい油っぽい。
思ったより食べられなかった。
お腹はすぐに苦しくなるしさ。
けして高い物でもなく、今の自分に見合った値段の指輪を買ったつもり。
すごく喜んでくれたのは良かった。
ペアリングなんて自分の中ではありえないことだったのに
思わず買ってきてしまったのは
きっと1ヶ月も置いてけぼりにしてしまった罪悪感が
多少なりとも自分の中にあったからなんだろうな。
まぁ、最初はペアにするつもりなんてサラサラなかったのだけれども。
あいかわらず暴走気味の彼女
困ったもんだ。
俺の意見を聞くこともなく勝手にビジネスホテルに泊まる手配してるし。
ビジネスホテルなんて泊まってどうするの???
週末のビジネスホテルは、出張で地方からでてきたサラリーマンでごったがえすし。
カウンターには宿泊の中国人がもめて列をなしてるし…。
ちなみになんでビジネスホテルなんて選んだの?と聞いてみたら
たまたま見えたから。
あと朝食ついてるし。
あ、そうですか。
夜11時に近くの焼肉やへでかけて行った。
なんでそんな遅い時間なったのかというと。
ホテルの近くで配ってたHOTPEPPERに、近くの焼肉やが午後11時以降に入店すると、食べ放題半額!
と書かれていたから。
それでしこたま焼肉を食べたのだけど、このお肉がものすごい油っぽい。
思ったより食べられなかった。
お腹はすぐに苦しくなるしさ。
自己中
2005年9月29日 In my life自己中にはなりたくない!と常日頃思って生きてきてもうどのくらいなんだろう。
その度合いがかなりひどく強すぎて、何事も人を優先してしまう極端な人間になちゃった俺。
よく人からはもう少し自分のことを考えて生きた方がいい、と言われる今日この頃。
というのもそれは幼少の頃より俺の人生に暗い影を落とす存在の親父と祖母の影響がかなり強い。
でもその遺伝子は確実に俺にも受け継がれている。
時々自分を抑えすぎて爆発するとその遺伝子が暴れてしまうことがある。
それは自己中というよりも、ただのわがままだったり
必要以上の自己防衛や被害妄想だったり
そんなふうにして自分の中に現れたとき、振り返って我が身を哀れんでしまう。
そういう風になってしまった自分を目の当たりにして、自己嫌悪に飲み込まれる。
それが俺の中に流れる忌まわしき血。
その度合いがかなりひどく強すぎて、何事も人を優先してしまう極端な人間になちゃった俺。
よく人からはもう少し自分のことを考えて生きた方がいい、と言われる今日この頃。
というのもそれは幼少の頃より俺の人生に暗い影を落とす存在の親父と祖母の影響がかなり強い。
でもその遺伝子は確実に俺にも受け継がれている。
時々自分を抑えすぎて爆発するとその遺伝子が暴れてしまうことがある。
それは自己中というよりも、ただのわがままだったり
必要以上の自己防衛や被害妄想だったり
そんなふうにして自分の中に現れたとき、振り返って我が身を哀れんでしまう。
そういう風になってしまった自分を目の当たりにして、自己嫌悪に飲み込まれる。
それが俺の中に流れる忌まわしき血。
グッジョブ! (通常盤)
2005年9月28日 音楽
RIP SLYME CD ワーナーミュージック・ジャパン 2005/08/31 ¥3,000
STEPPER’S DELIGHT
雑念エンタテインメント
One
FUNKASTIC
楽園ベイベー
Tokyo Classic
BLUE BE-BOP
JOINT
HOTTER THAN JULY
Dandelion
GALAXY
黄昏サラウンド
マタ逢ウ日マデ
UNDER THE SUN
MORE & MORE
日本を出る前に発売の情報を聞いて買いたいと思ったけど
出発後の発売だったので買うことができず
やっと今日買うことができた。
ベスト版は聞きやすい。
どれも聞いたことがある曲ばかりだからね
買って良かったよ!
いままでRIPのCDを買ったことなかったし
歌詞もわかったし
STEPPER’S DELIGHT
雑念エンタテインメント
One
FUNKASTIC
楽園ベイベー
Tokyo Classic
BLUE BE-BOP
JOINT
HOTTER THAN JULY
Dandelion
GALAXY
黄昏サラウンド
マタ逢ウ日マデ
UNDER THE SUN
MORE & MORE
日本を出る前に発売の情報を聞いて買いたいと思ったけど
出発後の発売だったので買うことができず
やっと今日買うことができた。
ベスト版は聞きやすい。
どれも聞いたことがある曲ばかりだからね
買って良かったよ!
いままでRIPのCDを買ったことなかったし
歌詞もわかったし
お土産を
2005年9月27日 In my lifeお土産を親戚の家に配ってまわった。
お土産といっても紅茶だけど。
英国といえば、やっぱり紅茶だし!
英国の紅茶は本当においしい!
日本で飲むより、本場で飲んでいるという雰囲気を抜きにしても美味しい。
親戚からは口々に痩せたといわれた。
やっぱり目に見えるほど痩せたんだな。
でもすごくお腹がいっぱいになるほど食べてたんだけどなぁ
まぁたまに昼食を抜いたりしていたけど…。
でもそれを補ってあまりあるほどいっぱいジャガイモを食べたんだけどなぁ(笑)
しばらくジャガイモは食べたくないや(笑)
お土産といっても紅茶だけど。
英国といえば、やっぱり紅茶だし!
英国の紅茶は本当においしい!
日本で飲むより、本場で飲んでいるという雰囲気を抜きにしても美味しい。
親戚からは口々に痩せたといわれた。
やっぱり目に見えるほど痩せたんだな。
でもすごくお腹がいっぱいになるほど食べてたんだけどなぁ
まぁたまに昼食を抜いたりしていたけど…。
でもそれを補ってあまりあるほどいっぱいジャガイモを食べたんだけどなぁ(笑)
しばらくジャガイモは食べたくないや(笑)
お彼岸
2005年9月26日 In my lifeお彼岸でお墓参りに行ってきた。
無事に日本に帰ってきたという報告を墓前でした。
なんだかこの日記を振りかえるとお墓参りばっかりしている印象がありますな。
でも、ご先祖様への日頃の感謝の気持ちを忘れたくないという思いが人一倍強い俺なのです。
というわけで可能な限り行きたいという気持ちがある。
ところで日本は思ったよりも暑くないなと思った。
台風が過ぎてから急激に温度が下がったみたい。
日本に帰ったらまた蒸し暑い生活なのかなって思っていたので、少し安心した。
久しぶりに日本食をいっぱい食べた。
やっぱり俺は日本食の味覚が染みついているんだなって思う。
イギリスの食事は不味いとは思わなかったけど、味はやっぱり日本食のが美味しい。
というより舌に合う。
また体重が戻ってしまいそうだ。
無事に日本に帰ってきたという報告を墓前でした。
なんだかこの日記を振りかえるとお墓参りばっかりしている印象がありますな。
でも、ご先祖様への日頃の感謝の気持ちを忘れたくないという思いが人一倍強い俺なのです。
というわけで可能な限り行きたいという気持ちがある。
ところで日本は思ったよりも暑くないなと思った。
台風が過ぎてから急激に温度が下がったみたい。
日本に帰ったらまた蒸し暑い生活なのかなって思っていたので、少し安心した。
久しぶりに日本食をいっぱい食べた。
やっぱり俺は日本食の味覚が染みついているんだなって思う。
イギリスの食事は不味いとは思わなかったけど、味はやっぱり日本食のが美味しい。
というより舌に合う。
また体重が戻ってしまいそうだ。
ただいま
というわけで、非常に短いロンドンでの生活を終えて
忌まわしい日本に戻ってまいりました。
振りかえると、本当に密度の濃い時間を過ごしたような気がする。
自分でも信じられないくらい動き回って、やり残したことはない!
っていうくらい動き回って、見て聞いて嗅いで味わって。
でもいざ日本へ帰るとなると、心残りはたくさん溢れだしてきて
やっぱり1ヶ月というのは短いなぁと
改めて思った。
あらかじめ1ヶ月と自分に言い聞かせて、悔いの無いように何でもこなして、何でも見てどこへでも行ってやろうと思って
実際にいろいろと出かけて見たけど、最後には淋しさというか
もっとここに残りたいという思いが湧いてきてしかたがなかった。
今は向こうで出会った人たちすべてに感謝したい気持ちです。
そして、もし可能ならまたLONDONへ行きたい。
というわけで、非常に短いロンドンでの生活を終えて
忌まわしい日本に戻ってまいりました。
振りかえると、本当に密度の濃い時間を過ごしたような気がする。
自分でも信じられないくらい動き回って、やり残したことはない!
っていうくらい動き回って、見て聞いて嗅いで味わって。
でもいざ日本へ帰るとなると、心残りはたくさん溢れだしてきて
やっぱり1ヶ月というのは短いなぁと
改めて思った。
あらかじめ1ヶ月と自分に言い聞かせて、悔いの無いように何でもこなして、何でも見てどこへでも行ってやろうと思って
実際にいろいろと出かけて見たけど、最後には淋しさというか
もっとここに残りたいという思いが湧いてきてしかたがなかった。
今は向こうで出会った人たちすべてに感謝したい気持ちです。
そして、もし可能ならまたLONDONへ行きたい。
ザ・ ヒッチハイカーズガイド・トゥ・ザ・ギャラクシー
2005年9月7日 さすらい〜股旅イギリスでの朝食は朝はシリアルを食べる。
夜はMaryが7時ぐらいに用意してくれる。Maryは夜になるとだいたい近くにある母親の家に行ってしまうのか留守にすることが多い。
なので、朝食の用意はほとんど俺がしている。用意っていってもシリアルとパンを出してきて、お皿を並べて飲み物を用意するくらいだけど。
Renanはギリギリまで寝ているので(たまに寝坊する)毎朝俺がすることになった。
日本ではあまり朝食は食べないので、ってっとりばやく食べられるシリアルばかり食べてしまう。
それに学校の昼食は1時なので、どうしても途中でお腹が鳴ってしまうからしっかり食べるようにした。
不思議なもので1時間でも時間がズレると、かなりお腹が空くのだ。
イギリスのというかmaryの食事はすごく簡単なものが多い。
だいたい1プレートで、ジャガイモがだいたい出てくる。
フライドポテトであったり、ベークドポテトであったり、茹でたままのジャガイモだったり。
ジャガイモが別にそれほど好きではないけど、でてきたら食べきってしまう。
これがイギリスの一般的な家庭の料理なのかも知れない。
他の家ではいろいろ凝った料理が出てくるらしいけど、俺的にはこれはこれで不満はない。
よくイギリスの料理はまずいと聞くけど、俺はそうは思わなかった。確かに美味しいかといえば、そうでもない。
日本人の味覚からすると味が薄いから、どうしてもひと味たしたくなる。
なので、食卓には塩がおいてあるから物足りなければ自分で足せっていう感じなんだと思う。
毎晩のようにジャガイモが出てきて食べ終えたあとは、もうジャガイモは食べたくない!って思うけど、次の日ジャガイモが出てきてもまた食べきってしまう。
でもけして料理がまずいというわけではない。むしろ俺は好きだ。
夜になって、Renanが学校で映画を見せてくれるから行こう!というので学校へ出かけた。
毎週水曜日の放課後に、学校の食堂でスクリーンで映画を見せてくれるのだ。
行ってみるとけこう人が集まっていた。
外国の人はつくづくこういう社交場的なものが好きだなと思った。
ジュースやポップコーンがおいてあって、好きに飲んだり食べたりしているようなのでコーラをコップについで適当な席に座った。
今夜の映画は「ザ・ ヒッチハイカーズガイド・トゥ・ザ・ギャラクシー」というイギリスのコメディだった。
もちろん、言葉も字幕も英語。なので細かい内容はわからない。でもコメディなので言葉がわからなくても見ているだけで楽しい。
夜はMaryが7時ぐらいに用意してくれる。Maryは夜になるとだいたい近くにある母親の家に行ってしまうのか留守にすることが多い。
なので、朝食の用意はほとんど俺がしている。用意っていってもシリアルとパンを出してきて、お皿を並べて飲み物を用意するくらいだけど。
Renanはギリギリまで寝ているので(たまに寝坊する)毎朝俺がすることになった。
日本ではあまり朝食は食べないので、ってっとりばやく食べられるシリアルばかり食べてしまう。
それに学校の昼食は1時なので、どうしても途中でお腹が鳴ってしまうからしっかり食べるようにした。
不思議なもので1時間でも時間がズレると、かなりお腹が空くのだ。
イギリスのというかmaryの食事はすごく簡単なものが多い。
だいたい1プレートで、ジャガイモがだいたい出てくる。
フライドポテトであったり、ベークドポテトであったり、茹でたままのジャガイモだったり。
ジャガイモが別にそれほど好きではないけど、でてきたら食べきってしまう。
これがイギリスの一般的な家庭の料理なのかも知れない。
他の家ではいろいろ凝った料理が出てくるらしいけど、俺的にはこれはこれで不満はない。
よくイギリスの料理はまずいと聞くけど、俺はそうは思わなかった。確かに美味しいかといえば、そうでもない。
日本人の味覚からすると味が薄いから、どうしてもひと味たしたくなる。
なので、食卓には塩がおいてあるから物足りなければ自分で足せっていう感じなんだと思う。
毎晩のようにジャガイモが出てきて食べ終えたあとは、もうジャガイモは食べたくない!って思うけど、次の日ジャガイモが出てきてもまた食べきってしまう。
でもけして料理がまずいというわけではない。むしろ俺は好きだ。
夜になって、Renanが学校で映画を見せてくれるから行こう!というので学校へ出かけた。
毎週水曜日の放課後に、学校の食堂でスクリーンで映画を見せてくれるのだ。
行ってみるとけこう人が集まっていた。
外国の人はつくづくこういう社交場的なものが好きだなと思った。
ジュースやポップコーンがおいてあって、好きに飲んだり食べたりしているようなのでコーラをコップについで適当な席に座った。
今夜の映画は「ザ・ ヒッチハイカーズガイド・トゥ・ザ・ギャラクシー」というイギリスのコメディだった。
もちろん、言葉も字幕も英語。なので細かい内容はわからない。でもコメディなので言葉がわからなくても見ているだけで楽しい。
Afternoon cooking
2005年9月6日 さすらい〜股旅ロンドンに来てそろそろ2週間が経って、ほんの少しだけこっちの生活に慣れてきた。
といっても本当にほんの少しで、あいかわらず英語は耳に馴染まない。
Sheilaの授業はとてもわかりやすくて優しい。
Sheilaの話す英語は、子供に話しかけるようにとても聞き取りやすいので授業中はとても楽しい。
なのでわからないことや、単語の発音の仕方など積極的に質問もできるようになった。
でも、午後の授業になると勝手が違う。
午後のクラスは生徒が少なくて、ひとつ上のクラスの生徒と一緒に授業を受けるのでほんの少しの差なのかもしれないけど、難しく感じるし置いてけぼりになることもしばしばある。
街に出てもやっぱり英語がわからないとき、というより聞き取れないときがある。
町中の英語は、午後の授業よりも難しい。
なんとなく学校にも慣れて、知っている人も増えたので午後のAfternoon cookingのプログラムに参加してみることにした。
AYAとYURIが誘ってくれたこともあるけど。
男の参加者は3人ぐらいしかいなかった。
ふだんあまり料理をしたことはないので難しいかなって思ったけど、やってみると意外と簡単。
っていうより材料の分量はSheilaが計ってくれて、それを混ぜるだけだし、生徒が多いから焼いたりするのはほとんどSheilaとSheila娘さんが助手としてやってきて手伝っていたのでほとんど、俺達はなにもしなかった(笑)
できあがったSHORTBREADはとてもおいしかった。
SHORTBREAD
Ingredients:
150g plain flour
pinch of salt
1teaspoon of ground cinnamon
25g ground rice
50g caster sugar
125g butter
caster sugar for dreding
・sift the flour,salt,cinnamon and rice into a mixing bowl.Stir in the sugar
・rub the butter until the mixture resembles breadcrumbs
・knead until smooth but not sticky
・wrap in clingfilm and chill in the fridge for 30 minutes
・roll the dough out to 6mm thickness and cut into rounds using cutters
・prick all over with a fork and chill again
・bake in a pre-heated oven,160 C for about 20minutes until golden brown
・leave on tray for 10 minutes, then transfer to a cooling rack
・sprinkle with sugar to serve
といっても本当にほんの少しで、あいかわらず英語は耳に馴染まない。
Sheilaの授業はとてもわかりやすくて優しい。
Sheilaの話す英語は、子供に話しかけるようにとても聞き取りやすいので授業中はとても楽しい。
なのでわからないことや、単語の発音の仕方など積極的に質問もできるようになった。
でも、午後の授業になると勝手が違う。
午後のクラスは生徒が少なくて、ひとつ上のクラスの生徒と一緒に授業を受けるのでほんの少しの差なのかもしれないけど、難しく感じるし置いてけぼりになることもしばしばある。
街に出てもやっぱり英語がわからないとき、というより聞き取れないときがある。
町中の英語は、午後の授業よりも難しい。
なんとなく学校にも慣れて、知っている人も増えたので午後のAfternoon cookingのプログラムに参加してみることにした。
AYAとYURIが誘ってくれたこともあるけど。
男の参加者は3人ぐらいしかいなかった。
ふだんあまり料理をしたことはないので難しいかなって思ったけど、やってみると意外と簡単。
っていうより材料の分量はSheilaが計ってくれて、それを混ぜるだけだし、生徒が多いから焼いたりするのはほとんどSheilaとSheila娘さんが助手としてやってきて手伝っていたのでほとんど、俺達はなにもしなかった(笑)
できあがったSHORTBREADはとてもおいしかった。
SHORTBREAD
Ingredients:
150g plain flour
pinch of salt
1teaspoon of ground cinnamon
25g ground rice
50g caster sugar
125g butter
caster sugar for dreding
・sift the flour,salt,cinnamon and rice into a mixing bowl.Stir in the sugar
・rub the butter until the mixture resembles breadcrumbs
・knead until smooth but not sticky
・wrap in clingfilm and chill in the fridge for 30 minutes
・roll the dough out to 6mm thickness and cut into rounds using cutters
・prick all over with a fork and chill again
・bake in a pre-heated oven,160 C for about 20minutes until golden brown
・leave on tray for 10 minutes, then transfer to a cooling rack
・sprinkle with sugar to serve
Too difficult
2005年9月5日 さすらい〜股旅Renanはこっちでの生活費が少なくなってきたらしく、仕事を探すことにしたようだ。
生活費が足りなくなるっていうのはわかるような気がするわ。
Londonはとにかく物価が高い。日本の約1.5倍か2倍はする。
イギリス人はいったいどれだけ稼ぐのだろうか。
なによりべらぼうに高いのは、タバコ。
日本で買う20本入りのタバコは5.20£もする。
約1000円!ありえない…。タバコひと箱千円ですよ。
10本入りのタバコも売っているが、それでも2.60£
約500円。ありえない…。
8年前に来たとき、たしか20本入りで600円して、それでも高いと思ったのに。
Renanもタバコを吸うのでこれには苦労していることだろう。
まあ、それがRenanの生活費を圧迫しているかどうか定かではないけど。
そんなわけで、今日RenanはCenterに仕事の話を聞きに行くとかで学校は休むらしい。
ひとりでバスに乗って学校へ行くことになったのだけど、こういうときって何故かツイていない。
いつものバス停にバスがこない…。バスが時間通りにこないことはよくあるが、今日はそれに輪をかけてやってこない。
しかたがないので、次のバス停まで歩くことにした。
歩くと行ってもすぐ近くなので、さほど苦にはならない。
バス停についてもバスは来る気配がない。Londonも日本と同様、朝は渋滞する。
バスも渋滞に巻き込まれたら身動きがとれない。
仕方がないのでまた次のバス停まで歩くことにした。次のバス停は何本かの路線が一緒に停まるバス停なので、いつものバスとは違うバスで学校の方へ行くのがあるかもしれない。
次のバス停に着くと、なんといつものバスがやってきた…。
バスに乗ったもののこの時点で8時55分、完全に遅刻だ。
遅刻はしたけど、無事に学校に着いた。授業はいつも通り。
でも午後の授業は今週から先生が代わった。午後の授業は難しい。受講する生徒の数が午前より少ないので、レベルが上のクラスの生徒と一緒にされてしまう。それで、どうしても授業は午前中の授業よりもテンポが速くなるし、レベルも難しい。正直、手も足も出ない状態になるのだ。
生活費が足りなくなるっていうのはわかるような気がするわ。
Londonはとにかく物価が高い。日本の約1.5倍か2倍はする。
イギリス人はいったいどれだけ稼ぐのだろうか。
なによりべらぼうに高いのは、タバコ。
日本で買う20本入りのタバコは5.20£もする。
約1000円!ありえない…。タバコひと箱千円ですよ。
10本入りのタバコも売っているが、それでも2.60£
約500円。ありえない…。
8年前に来たとき、たしか20本入りで600円して、それでも高いと思ったのに。
Renanもタバコを吸うのでこれには苦労していることだろう。
まあ、それがRenanの生活費を圧迫しているかどうか定かではないけど。
そんなわけで、今日RenanはCenterに仕事の話を聞きに行くとかで学校は休むらしい。
ひとりでバスに乗って学校へ行くことになったのだけど、こういうときって何故かツイていない。
いつものバス停にバスがこない…。バスが時間通りにこないことはよくあるが、今日はそれに輪をかけてやってこない。
しかたがないので、次のバス停まで歩くことにした。
歩くと行ってもすぐ近くなので、さほど苦にはならない。
バス停についてもバスは来る気配がない。Londonも日本と同様、朝は渋滞する。
バスも渋滞に巻き込まれたら身動きがとれない。
仕方がないのでまた次のバス停まで歩くことにした。次のバス停は何本かの路線が一緒に停まるバス停なので、いつものバスとは違うバスで学校の方へ行くのがあるかもしれない。
次のバス停に着くと、なんといつものバスがやってきた…。
バスに乗ったもののこの時点で8時55分、完全に遅刻だ。
遅刻はしたけど、無事に学校に着いた。授業はいつも通り。
でも午後の授業は今週から先生が代わった。午後の授業は難しい。受講する生徒の数が午前より少ないので、レベルが上のクラスの生徒と一緒にされてしまう。それで、どうしても授業は午前中の授業よりもテンポが速くなるし、レベルも難しい。正直、手も足も出ない状態になるのだ。
Tate Modern
2005年9月4日 さすらい〜股旅
朝7時ぐらいに目が覚めて、日曜日にあまり早く起きていくのもなんなのでベッドの中でテレビを見ていた。
テレビは昨日のサッカーの試合のダイジェストがやっていた。
番組の司会は懐かしい、昔名古屋グランパスでもプレーしていたGARY LINEKERだった。
8時頃起き出して、のそのそと朝食を食べた。するとMaryが起きてきて
「今日は洗濯するから洗濯物があったら袋に詰めて出しておいて。」と言ったので、食事のあと部屋から洗濯物をもってきた。
ホームステイ先によっては、洗濯は自分でランドリーへでかけてやったり、若しくはお金を出してホストマザーにやってもらったりすることもあるらしい。
その点ではうちはやってもらえるので助かる。シャワーの時間も決まっていたりするところもあるらしいが、うちにはそういう制約もない。食事の時間も通常だいたい7時ぐらいなのだけど、何時までに帰ってきなさいということもないので助かる。そのかわり残念ながら、ホストファミリーと食事をしながら会話をするということもない。
「昨日はどうだった?楽しかった?今日はどこへ行くの?」など聞かれた。
「今日はCenterへ行って、美術館を見ようと思う」と答えると。
「Tate ModernからTate Britenまで船がでてるのよ、それにのればすぐに着くし、安上がりなのよ」と教えてくれた。
9時頃家を出てバスに乗ってCenter Londonへ向かった。Tottenham Court Roadでバスを降りて、適当にバスに乗ってトラファルガー広場付近で降りる。そこから歩いて、橋を渡ってテムズ川沿いを歩いてTate Modernへ。
Tate Modernは昨日もやってきたけど、まだ見ていない部分をゆっくり見て回った。
それから元来た道を戻って、Covent Gardenへ。Covent Gardenは今回Londonで俺の超お気に入りの場所だった。周りにはPaul SmithなどオサレなShopがたくさんあるし、Covent Gardenにはレストラン、マーケットなどがある。アクセサリーもけっこうたくさんあるし、交渉次第ではまけてくれたりもする。俺も指輪を買ったらちょっとだけまけてくれた。もしかして英語がもっと堪能だったら、もっと値切れたのかもしれない(笑)
Tate ModernからCovent Gardenまで歩いていけない距離でもないけど、バスに乗った方が早いかもしれない。でも俺は歩いた。
歩くのは楽しい、道を歩きながら見るモノが何を見ても楽しいから。それとバスは時間通りに来るとは限らないし、バスの数もたくさん走っているし、バスの前の部分に番号が書いてあって、その番号によってどこへ行くか決まっているけど、どのバスがどこへ行くのか探すのも大変だった。それに歩いて回るとかなり土地勘ができあがる。
Covent GardenからNational Galleryのそばを通ってPiccadilly Circusへ。その時点で2時ぐらいで、少し遅めのランチを食べるためにジャパセンへ行ってみた。その日あまり現金を持っていなかったのでトラベラーズチェックが使えるか、店員に聞いてみた。使えるというので安心していたのだけど、どこからともなく現れた偉そうな年の頃なら30代前半の日本人が飛んできて、その店員を激しく指導しはじめた。それから俺にトラベラーズチェックの額面を確認して、その半額までの注文なら受け付けると行った。トラベラーズチェックは使うのに厄介な代物なのかもしれない。けど現金を大量に持ち歩くのは気が引けるし。仕方がないので高いけど10ポンドの食事をした。鮪の竜田揚げ定食、味は日本で食べるのと大差ないけど、高いな。久しぶりの日本食だったけどどうも腑に落ちない。Londonでは日本食は高級食みたいだ。なによりこの偉そうな日本人が気にくわなかった。確かに向こうは商売かもしれないが、なんとなくその高圧的な態度が気に入らなかったので、俺はその後一度もジャパセンには行かなかった。
その後再び歩いてSt.James`s Parkを抜け迷いながらTate Britainへ。迷ったおかげで4時ぐらいに到着して見学は早足になってしまった。
町中を歩いていて気がつくことは、日本人はだいたいすぐに見分けがつくということ。どこの国へ行ってもそうなのかもしれないが、だいたい2種類の日本人がいる。オロオロしているか必要以上に気取っている。中国人は移民が多いせいか同じアジア人でもごく自然にLondonの街に溶け込んでいる。良い意味で普通に歩いている。8年前はあまり見かけなかった韓国人の姿が増えていたことも気がついたことのひとつで、高級ショップには必ず韓国人観光客がいた。韓国は景気がいいんだろうなと改めて思った。彼らもわりと自然にLondonを闊歩していたが、けっこう話す声がうるさいのですぐわかる。そういう意味では日本人はあまりLondonに馴染んでいない感じがした。たぶん長くLondonに住んでいるんだろうなと思われる日本人でも、なんだかファッションは微妙に派手で歩き方もなんとなく威張っている感じがするのだ。そういう俺はどうなのかと言えば、もちろんオロオロ型の日本人だった。
Tate BritainはTate Modernとは違い、1800後半〜1900年後半の近代英国の芸術が見られる。Edward Wadsworthの作品が俺のなかで気に入った。
帰り道、家の前の通を歩いているとどこからともなく「コンニチハ」と話しかけられた。最初何を言っているのか気がつかなかったのだけど、近所の子供がどうやら俺に向かって言っているようだった。まさかこんなところで、しかも子供に日本語で話しかけられるとは思わなかったのでびっくりした。でも嬉しかった。それ以後この少年とは道で会うたびに「コンニチハ!」と挨拶するようになった。
テレビは昨日のサッカーの試合のダイジェストがやっていた。
番組の司会は懐かしい、昔名古屋グランパスでもプレーしていたGARY LINEKERだった。
8時頃起き出して、のそのそと朝食を食べた。するとMaryが起きてきて
「今日は洗濯するから洗濯物があったら袋に詰めて出しておいて。」と言ったので、食事のあと部屋から洗濯物をもってきた。
ホームステイ先によっては、洗濯は自分でランドリーへでかけてやったり、若しくはお金を出してホストマザーにやってもらったりすることもあるらしい。
その点ではうちはやってもらえるので助かる。シャワーの時間も決まっていたりするところもあるらしいが、うちにはそういう制約もない。食事の時間も通常だいたい7時ぐらいなのだけど、何時までに帰ってきなさいということもないので助かる。そのかわり残念ながら、ホストファミリーと食事をしながら会話をするということもない。
「昨日はどうだった?楽しかった?今日はどこへ行くの?」など聞かれた。
「今日はCenterへ行って、美術館を見ようと思う」と答えると。
「Tate ModernからTate Britenまで船がでてるのよ、それにのればすぐに着くし、安上がりなのよ」と教えてくれた。
9時頃家を出てバスに乗ってCenter Londonへ向かった。Tottenham Court Roadでバスを降りて、適当にバスに乗ってトラファルガー広場付近で降りる。そこから歩いて、橋を渡ってテムズ川沿いを歩いてTate Modernへ。
Tate Modernは昨日もやってきたけど、まだ見ていない部分をゆっくり見て回った。
それから元来た道を戻って、Covent Gardenへ。Covent Gardenは今回Londonで俺の超お気に入りの場所だった。周りにはPaul SmithなどオサレなShopがたくさんあるし、Covent Gardenにはレストラン、マーケットなどがある。アクセサリーもけっこうたくさんあるし、交渉次第ではまけてくれたりもする。俺も指輪を買ったらちょっとだけまけてくれた。もしかして英語がもっと堪能だったら、もっと値切れたのかもしれない(笑)
Tate ModernからCovent Gardenまで歩いていけない距離でもないけど、バスに乗った方が早いかもしれない。でも俺は歩いた。
歩くのは楽しい、道を歩きながら見るモノが何を見ても楽しいから。それとバスは時間通りに来るとは限らないし、バスの数もたくさん走っているし、バスの前の部分に番号が書いてあって、その番号によってどこへ行くか決まっているけど、どのバスがどこへ行くのか探すのも大変だった。それに歩いて回るとかなり土地勘ができあがる。
Covent GardenからNational Galleryのそばを通ってPiccadilly Circusへ。その時点で2時ぐらいで、少し遅めのランチを食べるためにジャパセンへ行ってみた。その日あまり現金を持っていなかったのでトラベラーズチェックが使えるか、店員に聞いてみた。使えるというので安心していたのだけど、どこからともなく現れた偉そうな年の頃なら30代前半の日本人が飛んできて、その店員を激しく指導しはじめた。それから俺にトラベラーズチェックの額面を確認して、その半額までの注文なら受け付けると行った。トラベラーズチェックは使うのに厄介な代物なのかもしれない。けど現金を大量に持ち歩くのは気が引けるし。仕方がないので高いけど10ポンドの食事をした。鮪の竜田揚げ定食、味は日本で食べるのと大差ないけど、高いな。久しぶりの日本食だったけどどうも腑に落ちない。Londonでは日本食は高級食みたいだ。なによりこの偉そうな日本人が気にくわなかった。確かに向こうは商売かもしれないが、なんとなくその高圧的な態度が気に入らなかったので、俺はその後一度もジャパセンには行かなかった。
その後再び歩いてSt.James`s Parkを抜け迷いながらTate Britainへ。迷ったおかげで4時ぐらいに到着して見学は早足になってしまった。
町中を歩いていて気がつくことは、日本人はだいたいすぐに見分けがつくということ。どこの国へ行ってもそうなのかもしれないが、だいたい2種類の日本人がいる。オロオロしているか必要以上に気取っている。中国人は移民が多いせいか同じアジア人でもごく自然にLondonの街に溶け込んでいる。良い意味で普通に歩いている。8年前はあまり見かけなかった韓国人の姿が増えていたことも気がついたことのひとつで、高級ショップには必ず韓国人観光客がいた。韓国は景気がいいんだろうなと改めて思った。彼らもわりと自然にLondonを闊歩していたが、けっこう話す声がうるさいのですぐわかる。そういう意味では日本人はあまりLondonに馴染んでいない感じがした。たぶん長くLondonに住んでいるんだろうなと思われる日本人でも、なんだかファッションは微妙に派手で歩き方もなんとなく威張っている感じがするのだ。そういう俺はどうなのかと言えば、もちろんオロオロ型の日本人だった。
Tate BritainはTate Modernとは違い、1800後半〜1900年後半の近代英国の芸術が見られる。Edward Wadsworthの作品が俺のなかで気に入った。
帰り道、家の前の通を歩いているとどこからともなく「コンニチハ」と話しかけられた。最初何を言っているのか気がつかなかったのだけど、近所の子供がどうやら俺に向かって言っているようだった。まさかこんなところで、しかも子供に日本語で話しかけられるとは思わなかったのでびっくりした。でも嬉しかった。それ以後この少年とは道で会うたびに「コンニチハ!」と挨拶するようになった。
Stonehenge
2005年9月3日 さすらい〜股旅
朝8:00に起きて、Tubeに乗ってWaterloo Stationへ向かった。Londonから西へ列車で1時間半のSalisburyという街の近くにStonehengeはある。
Waterlooの駅に着いてSalisbury駅に行くためのチケットを買った。約24£。これが高いのか安いのか良くわからない。距離などをよくわかっていなかったので、すごく高く感じた。1Day return ticketは日帰り旅行には最適なチケットなのらしい。
しかし、イギリスの駅はややこしい。チケットを買うには買えたけど、何番のプラットホームからSalisbury行きの列車が出るのか、モニターに映し出されているのだけど、これがたくさんモニターがあってどれを見て良いのかわからない。とりあえず駅のインフォメーションでSalisbury行きの列車が何番から何時に出るのか聞いてみた。すぐに出発するらしいので、急いでホームに向かった。
イギリスの列車はけっこう自由で、自転車を持ち込んだり、犬をつれて乗ってきたり。窓の景色を眺めながら列車に乗ってかなり楽しい旅だった。以前からこんな風に列車にゆられながら、イギリスの景色を眺めて旅をするのが夢だった。本当に綺麗な景色だった。
1時間半後Salisburyの駅に着いた。Salisburyの駅についてすぐに観光案内所に向かいStonehenge行きのバスの場所を聞くと、すぐに出るようだったので走ってバス乗り場まで行くとちょうど出発するところだった。のどかな景色の中バスにのって40分、周りにはなにもないなだらかな丘の上にStonehengeはあった。
Stonehengeは観光名所として施設ができていて、思ったより神秘的という環境ではなかった。Stonehenge自体はとても神秘的なものなのだけど、その場所が近くを道が走りかなり交通渋滞になっていた。かなり観光客も多いし。とにかく日本語ガイドの機械を
借りてStonehengeを見物することにした。Stonehengeは紀元前3000年から紀元前1100年にかけて、何段階かにかけて建造されたものらしく年代が下がるごとに規模が大きくなったのだそうだ。その後いくつかの石は盗まれたり、近くの道の舗装に使われたりしたらしい。
2時間ほど滞在した後バスに乗って次の目的地Old Sarumに向かった。
Old Sarum(オールド・セーラム)はSalisburyの街の近くにある廃墟だった。かつてこの辺りの中心だった場所で、城塞や大聖堂や宮殿があった場所。バスの運転手さんにOld Sarumの場所を聞いて、着いたら教えてくれるように頼むとなんにもないところに下ろされた。近くに数件の家はあるものの、遺跡があるよな雰囲気はまるでなかった。バスを降りるときに、ひとり旅行者らしき人が降りたのであとからついていくことにした。前を歩く男の人が歩く方へ着いていくと、道路をはずれてあぜ道を歩きだした。本当にこの先にOld Sarumがあるのだろうか?不安になってきた。まわりは羊だらけになってくるし。それでもしばらく歩くと、小高い丘のようなものが見えてきた。小高い丘から吊り橋が渡っていて、中心の城壁に囲まれた場所へと続いていた。吊り橋を渡ると城壁のむこうには一面に芝生が生え、ところどころに崩れた壁の残る廃墟だった。文化遺産のわりには子供が走り回り、家族連れが芝生で寝っ転がっていたりのどかなところだった。その小高い丘の上から周りを見渡すと遠くの方までよく見え、空の上の浮かぶ天空の城ラピュタを彷彿とさせた。この場所がすごく気に入った。
Salisburyの街へ戻って、Salisburyの街を探索しながら街の中心に建つソールスベリ大聖堂へ向かった。Salisburyの街はわりとにぎやかで、市場では生活雑貨やアクセサリー、洋服や食品などさまざまな物が売られていた。それを見ているのも楽しかった。路地裏を歩くと古い建物がたくさんあってなんだか胸が熱くなった。
ソールスベリ大聖堂は1220年から1258年にかけて建てられたイギリスを代表する大聖堂のひとつで、マグナカルタの原本ひとつがここに収められていた。中はとても広く、歴史的な装飾品が飾られていてどれも素晴らしかった。なによりもこの大聖堂自体の存在がすばらしかった。
それからさらにSalisburyの街を探索して歩いたあと、夕方6時ぐらいにSalisburyをあとにした。Londonには7時半ぐらいに着くと、その足でWaterloo駅から歩いてTateModernへ向かった。TateModernは土曜日だと夜10時まで開いているのでちょうど良い機会なので見に行くことにしたのだ。TateModernはテートギャラリーの現代見術コレクションを移した美術館で、イギリスの国内の現代アートはもちろん、海外の作品もPicasoやmaglitなど多く展示してあった。
現代アートはアバンギャルドな物が多く、芸術とは本当に形に捕らわれない物だと思った。
10時になって閉館の時間までたっぷり見物したあと、テムズ川のほとりを散歩しながら地下鉄の駅へ向かって、歩いた。
Waterlooの駅に着いてSalisbury駅に行くためのチケットを買った。約24£。これが高いのか安いのか良くわからない。距離などをよくわかっていなかったので、すごく高く感じた。1Day return ticketは日帰り旅行には最適なチケットなのらしい。
しかし、イギリスの駅はややこしい。チケットを買うには買えたけど、何番のプラットホームからSalisbury行きの列車が出るのか、モニターに映し出されているのだけど、これがたくさんモニターがあってどれを見て良いのかわからない。とりあえず駅のインフォメーションでSalisbury行きの列車が何番から何時に出るのか聞いてみた。すぐに出発するらしいので、急いでホームに向かった。
イギリスの列車はけっこう自由で、自転車を持ち込んだり、犬をつれて乗ってきたり。窓の景色を眺めながら列車に乗ってかなり楽しい旅だった。以前からこんな風に列車にゆられながら、イギリスの景色を眺めて旅をするのが夢だった。本当に綺麗な景色だった。
1時間半後Salisburyの駅に着いた。Salisburyの駅についてすぐに観光案内所に向かいStonehenge行きのバスの場所を聞くと、すぐに出るようだったので走ってバス乗り場まで行くとちょうど出発するところだった。のどかな景色の中バスにのって40分、周りにはなにもないなだらかな丘の上にStonehengeはあった。
Stonehengeは観光名所として施設ができていて、思ったより神秘的という環境ではなかった。Stonehenge自体はとても神秘的なものなのだけど、その場所が近くを道が走りかなり交通渋滞になっていた。かなり観光客も多いし。とにかく日本語ガイドの機械を
借りてStonehengeを見物することにした。Stonehengeは紀元前3000年から紀元前1100年にかけて、何段階かにかけて建造されたものらしく年代が下がるごとに規模が大きくなったのだそうだ。その後いくつかの石は盗まれたり、近くの道の舗装に使われたりしたらしい。
2時間ほど滞在した後バスに乗って次の目的地Old Sarumに向かった。
Old Sarum(オールド・セーラム)はSalisburyの街の近くにある廃墟だった。かつてこの辺りの中心だった場所で、城塞や大聖堂や宮殿があった場所。バスの運転手さんにOld Sarumの場所を聞いて、着いたら教えてくれるように頼むとなんにもないところに下ろされた。近くに数件の家はあるものの、遺跡があるよな雰囲気はまるでなかった。バスを降りるときに、ひとり旅行者らしき人が降りたのであとからついていくことにした。前を歩く男の人が歩く方へ着いていくと、道路をはずれてあぜ道を歩きだした。本当にこの先にOld Sarumがあるのだろうか?不安になってきた。まわりは羊だらけになってくるし。それでもしばらく歩くと、小高い丘のようなものが見えてきた。小高い丘から吊り橋が渡っていて、中心の城壁に囲まれた場所へと続いていた。吊り橋を渡ると城壁のむこうには一面に芝生が生え、ところどころに崩れた壁の残る廃墟だった。文化遺産のわりには子供が走り回り、家族連れが芝生で寝っ転がっていたりのどかなところだった。その小高い丘の上から周りを見渡すと遠くの方までよく見え、空の上の浮かぶ天空の城ラピュタを彷彿とさせた。この場所がすごく気に入った。
Salisburyの街へ戻って、Salisburyの街を探索しながら街の中心に建つソールスベリ大聖堂へ向かった。Salisburyの街はわりとにぎやかで、市場では生活雑貨やアクセサリー、洋服や食品などさまざまな物が売られていた。それを見ているのも楽しかった。路地裏を歩くと古い建物がたくさんあってなんだか胸が熱くなった。
ソールスベリ大聖堂は1220年から1258年にかけて建てられたイギリスを代表する大聖堂のひとつで、マグナカルタの原本ひとつがここに収められていた。中はとても広く、歴史的な装飾品が飾られていてどれも素晴らしかった。なによりもこの大聖堂自体の存在がすばらしかった。
それからさらにSalisburyの街を探索して歩いたあと、夕方6時ぐらいにSalisburyをあとにした。Londonには7時半ぐらいに着くと、その足でWaterloo駅から歩いてTateModernへ向かった。TateModernは土曜日だと夜10時まで開いているのでちょうど良い機会なので見に行くことにしたのだ。TateModernはテートギャラリーの現代見術コレクションを移した美術館で、イギリスの国内の現代アートはもちろん、海外の作品もPicasoやmaglitなど多く展示してあった。
現代アートはアバンギャルドな物が多く、芸術とは本当に形に捕らわれない物だと思った。
10時になって閉館の時間までたっぷり見物したあと、テムズ川のほとりを散歩しながら地下鉄の駅へ向かって、歩いた。
Church Pub
2005年9月2日 さすらい〜股旅朝Maryが「あなたChurch Pubって知っている?学校の近くにあるのよ。そこにはSt Gilesの学生がいっぱいいるのよ。Renanもよく行っているみたいよ」と言っていた。
学校にいくとき、RenanにChurch Pubのことを聞いてみたら「今夜行くか?」ということになった。
今日はFalesの学校の最終日だった。Falesはちょっと寂しそうだった。この学校では、毎週のように誰かが去って、また新しい誰かがやってくる。falesはこの日曜日には帰国してしまうのだった。
休み時間に、RenanがFalesにChurch Pubに誘っていた。
今日は金曜日で、学校は半日しかないので午後はCenter Londonへでかけた。
俺が日本から持ってきたイギリスのガイドブックは少し情報が少なくて、しかたなくもう少し情報が載っているのを買うことにした。
Piccadillyの三越に行って地下の書店に行ってみた。するとSt Gilesの日本人の生徒に出会った。
ここであったが百年目。学校でもそんなに喋ったことがなかったので少し躊躇していたけど、おもいきって声をかけると、俺のことを覚えていてくれた。
Kentくんは17歳でこっちの高校へ通うための準備期間に、一ヶ月だけSt Gilesに通っているのだそうだ。そしてこの週末が最後らしかった。
ちょうどよかったので以前Yoshiさんから教えてもらったジャパニーズセンターの場所を教えてもらうことにした。
ジャパセンに行く途中、Yoshiさんの話をするとKentくんはYOshiさんと仲良しだったらしい。巡り合わせってやつだろうか。
ジャパセンは意外に近いところにあった。場所を教えてもらってすぐにお暇することにした。
Japanese CenterはPiccadilly Circusの近くの日本食レストランや日本のものがたくさん売っている場所。
すぐにバスに乗って家に帰ると、Renanがなにやら忙しそうにしていた。Renanは早口で喋るとすぐに出ていってしまった。どうもPubにはブラジル人の友達と一緒に行くようなことを言っていた。そして後で戻ってくるというようなことを言っていたのだけど詳細がわからなかった。
しかたがないので家にいると、9時近くになってMaryが帰ってきた。もう9時だしRenanは今日はキャンセルしてブラジルの友達と飲みたかったのかもしれないな…。と思っていた。
MaryはRenanはPubへ行っているというようなことを言っている。車で送っていこうか?と言うようなことを言っているのだけど、これまたよく理解できなかった。
いずれにせよ、Renanは他の友達と飲んでいるので、俺がいっても邪魔なんだと思ったので、Maryの申し出を断ってしまった。
夜中Renanが帰ってきて、「なんでChurch Pubにこなかったの?」と聞かれた。
「なんでって、他の友達と飲みに行ったんでしょ?」というと
「maryに後で車で送ってもらうように頼んでおいたのに」といわれ
すべての合点がいった。
Renanは家を出るときに、ブラジルの友達と待ち合わせをしているからMaryが帰ってきたら夕飯を食べて、車で送ってもらいな。と言っていたのだ。Maryもそれを知っていて、俺をChurch Pubまで送ってくれようとしていたのだった。
俺が英語ができないばっかりに招いてしまった。ミスだった。
ああ、勘違い。
Renan,Maryごめんなさい!
それから一緒に飲みに行きたかった。
Falesもごめんなさい。2度目のドタキャンだ…。
学校にいくとき、RenanにChurch Pubのことを聞いてみたら「今夜行くか?」ということになった。
今日はFalesの学校の最終日だった。Falesはちょっと寂しそうだった。この学校では、毎週のように誰かが去って、また新しい誰かがやってくる。falesはこの日曜日には帰国してしまうのだった。
休み時間に、RenanがFalesにChurch Pubに誘っていた。
今日は金曜日で、学校は半日しかないので午後はCenter Londonへでかけた。
俺が日本から持ってきたイギリスのガイドブックは少し情報が少なくて、しかたなくもう少し情報が載っているのを買うことにした。
Piccadillyの三越に行って地下の書店に行ってみた。するとSt Gilesの日本人の生徒に出会った。
ここであったが百年目。学校でもそんなに喋ったことがなかったので少し躊躇していたけど、おもいきって声をかけると、俺のことを覚えていてくれた。
Kentくんは17歳でこっちの高校へ通うための準備期間に、一ヶ月だけSt Gilesに通っているのだそうだ。そしてこの週末が最後らしかった。
ちょうどよかったので以前Yoshiさんから教えてもらったジャパニーズセンターの場所を教えてもらうことにした。
ジャパセンに行く途中、Yoshiさんの話をするとKentくんはYOshiさんと仲良しだったらしい。巡り合わせってやつだろうか。
ジャパセンは意外に近いところにあった。場所を教えてもらってすぐにお暇することにした。
Japanese CenterはPiccadilly Circusの近くの日本食レストランや日本のものがたくさん売っている場所。
すぐにバスに乗って家に帰ると、Renanがなにやら忙しそうにしていた。Renanは早口で喋るとすぐに出ていってしまった。どうもPubにはブラジル人の友達と一緒に行くようなことを言っていた。そして後で戻ってくるというようなことを言っていたのだけど詳細がわからなかった。
しかたがないので家にいると、9時近くになってMaryが帰ってきた。もう9時だしRenanは今日はキャンセルしてブラジルの友達と飲みたかったのかもしれないな…。と思っていた。
MaryはRenanはPubへ行っているというようなことを言っている。車で送っていこうか?と言うようなことを言っているのだけど、これまたよく理解できなかった。
いずれにせよ、Renanは他の友達と飲んでいるので、俺がいっても邪魔なんだと思ったので、Maryの申し出を断ってしまった。
夜中Renanが帰ってきて、「なんでChurch Pubにこなかったの?」と聞かれた。
「なんでって、他の友達と飲みに行ったんでしょ?」というと
「maryに後で車で送ってもらうように頼んでおいたのに」といわれ
すべての合点がいった。
Renanは家を出るときに、ブラジルの友達と待ち合わせをしているからMaryが帰ってきたら夕飯を食べて、車で送ってもらいな。と言っていたのだ。Maryもそれを知っていて、俺をChurch Pubまで送ってくれようとしていたのだった。
俺が英語ができないばっかりに招いてしまった。ミスだった。
ああ、勘違い。
Renan,Maryごめんなさい!
それから一緒に飲みに行きたかった。
Falesもごめんなさい。2度目のドタキャンだ…。
AYAとYruiとFalesとLion kingを見に行こうと思ったんだけど、キャンセルしてしまった…。
学校のアクティビティで2週間後に俺だけ行くことにした。
学校で買った方が安いと。
しかし、何故か彼女たちの方が安く行けたらしい…。
ああ、ついてないな。
そんなことよりFales達と一緒に行かなかったことに後悔してる。
なんてこった。
学校のアクティビティで2週間後に俺だけ行くことにした。
学校で買った方が安いと。
しかし、何故か彼女たちの方が安く行けたらしい…。
ああ、ついてないな。
そんなことよりFales達と一緒に行かなかったことに後悔してる。
なんてこった。
Neighbours
2005年8月31日 さすらい〜股旅クラス分けテストの結果は、やっぱりElementaryだった。
同じクラスになったAyaとYuriとMegu3人の日本人の女の子と
Renanの友達Fales、韓国人で背の高いJone、ブラジル人の女性Raqel、スペイン人のRosa、ロシア人のAndzey。
夏休みのせいかこの時期は日本人が多いような気がした。
AyaとYuriは現役女子大生なので英語も現役で勉強しているせいか、知っている単語の量がたくさん。さすがって感じ。
たぶんこの中で俺が一番英語ができないんじゃないかと思うくらい、書けない、聞けない、喋れない。
この先1ヶ月もやっていけるのだろうかとこっちへ着いた初日に、不安になって、今もその不安が湧いている。
なによりも基本的なことが言えるようになりたい。
3日前、ドアが開かなくなったとき、Renanが助けてくれて
「Thank you」というとRenanはごくごく自然に
「You are Welcome」と言った。
すごくくだらないことに思えるかもしれないけど、このYou are Welcomeがとっさに出てこない。
You are Welcomeが「どういたしまして」だということぐらいは知っている。
その知っていることぐらいだけでも、声に出して言えるようになりたい。そう思った。
そのためにはたくさん会話をしなくてはならないと思った。
だけど言葉が出てこない。良い練習相手のRenanが同じ家に住んでいるのに。バスの中でもあまり会話がないのが現状。
moning classの先生Sheilaはとても優しい先生で、わかりやすい。
でもまだまだ授業についていけない状態が続いた。
学校にはいろいろイベントがあるらしい。
アクティビティとして、火曜日にはいろいろなレッスンがある。例えば、クッキングやサルサダンスなど、水曜日は学校で映画を見せてくれる。木曜日にもいろいろなイベントがあり。週末には一日旅行があるらしい。ストーンヘンジのツアーに参加してみたいなと思った。
たぶんこの先こうしてイギリスや他の国に行くことはないと思うから。
ここで今できること、感じられることをめいいっぱい吸いこまないともったいない。
そう思た。そんな風に思うこといままでなかったような気がする。
日本にいる頃は毎日がただ過ぎていくだけで、なにかをしなくちゃ!と思っても
その何かがみつからなかった。
今こうして自分の夢だったイギリスへやってきて、好きなことができている自分はとても幸せなんだと改めて思った。
夕方家に帰って庭で勉強をしていると、Willが帰ってきた。
汗だくのWillは庭でいきなり水を浴び始めた。
「走ってきたの?」と話すと
「いや、穴を掘っていた」と言った。
穴掘りの仕事をしているのだろうか?
突然Willは庭でeminemを聞き始めた。
「宿題やってるの?」というWillに「そうだよ」と答えると
「俺が教えてやるよ」というのでテキストを見せた。
「Neighbours ploblem?」
「そう、今日授業で習ったんだよ」と通じるかどうか分からない英語で話すと
「そういうことか説明してみろ」というので
しどろもどろになりながら説明した。
「あなたの家の隣人はどんな問題があるんだ?」と聞いてきたので
「夜中に大声で喧嘩を始めたり、ときどきゴミをうちへ投げ込むんだよ」と答えると
いきなりWillは吸っていたタバコを隣の家の庭へ投げてしまった。
俺が呆気にとられていると
「Like this?」というので
俺が言いたかったこととかなり違うけど
「That`s right.」と答えた。
Willはけっこうやんちゃな男の子なんだけど、こうして宿題をみてくれたり、時々優しいところがある。基本的には優しい男の子なのだ。普段はぶっきらぼうでおっかないけど…(笑)
ところがその夜、Willが彼女と友達を呼んで夜中じゅう大音量で音楽をかけ
ワーワーキャーキャーどんちゃん騒ぎをしていた。眠れない…。
これはNeighbours ploblemならぬFamily Ploblem
同じクラスになったAyaとYuriとMegu3人の日本人の女の子と
Renanの友達Fales、韓国人で背の高いJone、ブラジル人の女性Raqel、スペイン人のRosa、ロシア人のAndzey。
夏休みのせいかこの時期は日本人が多いような気がした。
AyaとYuriは現役女子大生なので英語も現役で勉強しているせいか、知っている単語の量がたくさん。さすがって感じ。
たぶんこの中で俺が一番英語ができないんじゃないかと思うくらい、書けない、聞けない、喋れない。
この先1ヶ月もやっていけるのだろうかとこっちへ着いた初日に、不安になって、今もその不安が湧いている。
なによりも基本的なことが言えるようになりたい。
3日前、ドアが開かなくなったとき、Renanが助けてくれて
「Thank you」というとRenanはごくごく自然に
「You are Welcome」と言った。
すごくくだらないことに思えるかもしれないけど、このYou are Welcomeがとっさに出てこない。
You are Welcomeが「どういたしまして」だということぐらいは知っている。
その知っていることぐらいだけでも、声に出して言えるようになりたい。そう思った。
そのためにはたくさん会話をしなくてはならないと思った。
だけど言葉が出てこない。良い練習相手のRenanが同じ家に住んでいるのに。バスの中でもあまり会話がないのが現状。
moning classの先生Sheilaはとても優しい先生で、わかりやすい。
でもまだまだ授業についていけない状態が続いた。
学校にはいろいろイベントがあるらしい。
アクティビティとして、火曜日にはいろいろなレッスンがある。例えば、クッキングやサルサダンスなど、水曜日は学校で映画を見せてくれる。木曜日にもいろいろなイベントがあり。週末には一日旅行があるらしい。ストーンヘンジのツアーに参加してみたいなと思った。
たぶんこの先こうしてイギリスや他の国に行くことはないと思うから。
ここで今できること、感じられることをめいいっぱい吸いこまないともったいない。
そう思た。そんな風に思うこといままでなかったような気がする。
日本にいる頃は毎日がただ過ぎていくだけで、なにかをしなくちゃ!と思っても
その何かがみつからなかった。
今こうして自分の夢だったイギリスへやってきて、好きなことができている自分はとても幸せなんだと改めて思った。
夕方家に帰って庭で勉強をしていると、Willが帰ってきた。
汗だくのWillは庭でいきなり水を浴び始めた。
「走ってきたの?」と話すと
「いや、穴を掘っていた」と言った。
穴掘りの仕事をしているのだろうか?
突然Willは庭でeminemを聞き始めた。
「宿題やってるの?」というWillに「そうだよ」と答えると
「俺が教えてやるよ」というのでテキストを見せた。
「Neighbours ploblem?」
「そう、今日授業で習ったんだよ」と通じるかどうか分からない英語で話すと
「そういうことか説明してみろ」というので
しどろもどろになりながら説明した。
「あなたの家の隣人はどんな問題があるんだ?」と聞いてきたので
「夜中に大声で喧嘩を始めたり、ときどきゴミをうちへ投げ込むんだよ」と答えると
いきなりWillは吸っていたタバコを隣の家の庭へ投げてしまった。
俺が呆気にとられていると
「Like this?」というので
俺が言いたかったこととかなり違うけど
「That`s right.」と答えた。
Willはけっこうやんちゃな男の子なんだけど、こうして宿題をみてくれたり、時々優しいところがある。基本的には優しい男の子なのだ。普段はぶっきらぼうでおっかないけど…(笑)
ところがその夜、Willが彼女と友達を呼んで夜中じゅう大音量で音楽をかけ
ワーワーキャーキャーどんちゃん騒ぎをしていた。眠れない…。
これはNeighbours ploblemならぬFamily Ploblem
My first class
2005年8月30日 さすらい〜股旅朝はRenanと一緒に学校へ行った。
初日は8時半までに学校へ到着するように書いてあったので、学校へ行こうとするとRenanが
「まだ早いよ、一緒に行くから待ってなよ」といって朝食を食べ始めた。
朝8時半までにくるように言われたと説明すると
「大丈夫だよ、落ち着けって」とたしなめられた。
Renanと一緒でないと学校の場所がわからないし、しかたなくRenanが朝食を食べ終わるまで待っていた。
初日から遅刻するのか…って思ったけど。
隣の駅のHightgateまでバスで通常20分くらい。
バスはだいたい10分間隔ぐらいで走っているらしいが、時間通りに来ることはまずない。
ましてや朝の通勤ラッシュ時は特に遅れる。
今日は火曜日、昨日は学校初日かと思いきやサマー・バンクホリデイとかで休みだった。
バス停から歩いて5分ぐらいで学校に着いた。
学校に着くと今日初日という生徒が何人か事務室にいた。
中に日本人が3人ほどいる。結局始まったのは9時でRenanの言うとおり、8時半に着いていなくても大丈夫だった。
初日は学校の説明とクラス分けテスト。
学校の説明についてはプリントが配られ、ところどころ穴埋め問題のようになっていた。
それを生徒同士で会話して、学校の設備や部屋などを生徒同士で教え合うという形式で学校内のことを理解し合うようだった。
もちろん補足として先生が説明をしてくれるのだけど。
今日初日の生徒は12人、日本人が4人あとはFeriというハンガリーのおじさんとAndzeyというMy PC持参の無口なロシア人のおじさん、Michelという早口なスイス人、ドイツの女の子MeltemとDebora、台湾の女の子Missa。みんな俺より英語はできるみたい。会話も流ちょうだった。俺もなんとかみんなと会話したけど…。
テストは簡単だと思った、中学生レベルから高校のはじめぐらい。でもできは悪かった。テストの途中で個人面談があった。そこで、英語を勉強する上で自分に必要なことはなにか?というようなことを聞かれ、なぜ英語を勉強するのにイギリスを選んだのか?など。
それから現状で自分はどのくらいのレベルだと思うのか?と聞かれ「Beginnerか一番下だと思う」と答えたら
「君はElementaryぐらいだね」と言われた。
あとで気がついたのだが、Elementaryはこの学校で下から3番目のレベルになっているのだけど、事実上一番下のレベルだった。
仮にテストでかなりできが悪くてもElementaryに入れられるようだった。
ランチは日本人とMissaとDeboraと一緒に食べた。
英語で極力会話をしていたけど、日本人同士ではやっぱり日本語になってしまった。
学校説明でわからなかったことを聞いてみたりした。
学校説明だけで頭がいっぱいになった俺に、午後の授業がさっそく用意されていた。
この日知り合ったひとたちはほとんど午前だけの生徒なので俺とMissaだけ午前に教えられた教室へ向かった。
午後2時にAfternoon Classが始まって、4時半に終了する。
初めての本格的な授業は散々だった。
ほとんど会話が耳を素通りしていって、会話どころか声を発することさえできずに終わった。自分が英語ができないということは覚悟していたものの、それをはるかに凌ぐできなさに愕然とした。
Afternoon Classで日本人のAyaと知り合った。それが唯一の救いだったかもしれない。
授業の後キャンティーンでお茶を飲みながらみんなで話した。
家に帰ったのは6時ぐらいで、少し庭でぼんやりして夕飯を食べて
0時まで勉強した。
正直、今日の授業のできが悔しくて、辞書をひきまくって今日やったことを徹底的に復習(Review)した。
いままでこんなに勉強したことないくらい勉強した。
改めて自分に興味のあることは何時間でもできてしまうタイプなんだと思った。
初日は8時半までに学校へ到着するように書いてあったので、学校へ行こうとするとRenanが
「まだ早いよ、一緒に行くから待ってなよ」といって朝食を食べ始めた。
朝8時半までにくるように言われたと説明すると
「大丈夫だよ、落ち着けって」とたしなめられた。
Renanと一緒でないと学校の場所がわからないし、しかたなくRenanが朝食を食べ終わるまで待っていた。
初日から遅刻するのか…って思ったけど。
隣の駅のHightgateまでバスで通常20分くらい。
バスはだいたい10分間隔ぐらいで走っているらしいが、時間通りに来ることはまずない。
ましてや朝の通勤ラッシュ時は特に遅れる。
今日は火曜日、昨日は学校初日かと思いきやサマー・バンクホリデイとかで休みだった。
バス停から歩いて5分ぐらいで学校に着いた。
学校に着くと今日初日という生徒が何人か事務室にいた。
中に日本人が3人ほどいる。結局始まったのは9時でRenanの言うとおり、8時半に着いていなくても大丈夫だった。
初日は学校の説明とクラス分けテスト。
学校の説明についてはプリントが配られ、ところどころ穴埋め問題のようになっていた。
それを生徒同士で会話して、学校の設備や部屋などを生徒同士で教え合うという形式で学校内のことを理解し合うようだった。
もちろん補足として先生が説明をしてくれるのだけど。
今日初日の生徒は12人、日本人が4人あとはFeriというハンガリーのおじさんとAndzeyというMy PC持参の無口なロシア人のおじさん、Michelという早口なスイス人、ドイツの女の子MeltemとDebora、台湾の女の子Missa。みんな俺より英語はできるみたい。会話も流ちょうだった。俺もなんとかみんなと会話したけど…。
テストは簡単だと思った、中学生レベルから高校のはじめぐらい。でもできは悪かった。テストの途中で個人面談があった。そこで、英語を勉強する上で自分に必要なことはなにか?というようなことを聞かれ、なぜ英語を勉強するのにイギリスを選んだのか?など。
それから現状で自分はどのくらいのレベルだと思うのか?と聞かれ「Beginnerか一番下だと思う」と答えたら
「君はElementaryぐらいだね」と言われた。
あとで気がついたのだが、Elementaryはこの学校で下から3番目のレベルになっているのだけど、事実上一番下のレベルだった。
仮にテストでかなりできが悪くてもElementaryに入れられるようだった。
ランチは日本人とMissaとDeboraと一緒に食べた。
英語で極力会話をしていたけど、日本人同士ではやっぱり日本語になってしまった。
学校説明でわからなかったことを聞いてみたりした。
学校説明だけで頭がいっぱいになった俺に、午後の授業がさっそく用意されていた。
この日知り合ったひとたちはほとんど午前だけの生徒なので俺とMissaだけ午前に教えられた教室へ向かった。
午後2時にAfternoon Classが始まって、4時半に終了する。
初めての本格的な授業は散々だった。
ほとんど会話が耳を素通りしていって、会話どころか声を発することさえできずに終わった。自分が英語ができないということは覚悟していたものの、それをはるかに凌ぐできなさに愕然とした。
Afternoon Classで日本人のAyaと知り合った。それが唯一の救いだったかもしれない。
授業の後キャンティーンでお茶を飲みながらみんなで話した。
家に帰ったのは6時ぐらいで、少し庭でぼんやりして夕飯を食べて
0時まで勉強した。
正直、今日の授業のできが悔しくて、辞書をひきまくって今日やったことを徹底的に復習(Review)した。
いままでこんなに勉強したことないくらい勉強した。
改めて自分に興味のあることは何時間でもできてしまうタイプなんだと思った。
My birth day
2005年8月29日 さすらい〜股旅朝起きるとMaryがBusの定期を買いに行こうと言っていた。
学校は隣の駅のHightgateなんだけど、地下鉄よりもバスの方が安いのでバスの定期を買った方が良いと教えてくれた。
バスと地下鉄両方使える定期があるらしいけど、すごく高い。
俺の場合午後まで授業があるので、学校が終わった後ロンドンの中心部CenterLondonまで行く時間もないので地下鉄はその都度買った方が良いとのことだった。
Oysterを買うために書類を書かなければならないのだけど、全部Maryが書いてくれた(笑)
俺英語力ゼロだし…。
その時生年月日を言ったのだけど今日が俺の誕生日だということに気がついた。
MaryとWilliamが「Happy Birth Day」と言ってくれた!
嬉しかった!
MaryとWillが車で一緒に買いにいってくれた。
途中でWillがマックに寄って朝食を買うということになって、マックに寄るとソーセージマフィンが食べたかったらしいのだが、無かったらしく
「Oh my god!!Fuck`n!!」を連発していた。(笑)
Willは体がでかくて、いつもぶっきらぼうな感じの男の子で口は悪いけど悪い奴ではなく、あくまでやんちゃな19歳の男の子なのだ。
その後Willにお金を渡してOystarを買ってきてもらった。(こういうところが優しいんだよね、ちゃんとお母さんを助けてるし)
そのあとすぐそのPassを使ってLondon市内への行き方をMaryに教えてもらって一人ででかけた。
丁寧にMaryがCenterへの行き方を紙に書いてくれて、道に迷ったときのために家の住所と電話番号まで書いてくれた。
(子供扱いの俺…(笑))
とりあえず、Tottenham Court Roadに着いてOzford Stを歩いてみた。
この辺はたくさんShopが並んでいて、たいがいみんなこの辺を歩いて回るみたい。
でも、はじめて歩いているのでここがどこなのかわからず。ガイドブックを片手に歩き回っているとRegent Stらしき通にでくわした。
Rgent Stを歩いているとなんとなく見覚えのある景色が現れた。
見覚えのあるBurberrysがあって、そのうちPiccadilly Circusに辿りついた!
懐かしい三越をみつけて、懐かしいマクドナルドがあって、とりあえずお昼時だったのでマックに入ってみた。
なんとなく懐かしい思い出に浸りながら昼食を取って、とりあえずBurberrysに戻って、母親に頼まれていたお土産を買うことにした。
Burberrysは昔来たときとかわらず、当たり前のことながらあいかわらず高級感漂うお店だった。
店に入って、しばらく店内を物色したのち、勇気を出して店員に話しかけた。
「女性物はコートはどこにあるんですか?」と尋ねると
2階にあると言われたので2階に上がってコートをみてみた。
ところがなんとなく計算してみたら目玉が飛びでるほど高い!
しばらく考えて買うことにした。もうこうしてイギリスへ来ることもないかもしれないし、せっかくだから買おうと思った。
適当な店員さんを捕まえて
「母親へのプレゼントなんですけど、ちょっと着てみてもらえますか?」と頼むと
「いいですよ。私はこれがいいわ、これがジャストフィットよ!」と言ってコートを着て鏡の前で回転し始めた。
(いや、あなたのじゃないし…。)と思いながら
「たぶん僕の母親の背丈はあなたと同じぐらいなので、あはなたに合えば大丈夫だと思います。」というと
「ちょっと袖が長いのよね、でもこうして折って着てもいいわよね」なんてまだ鏡の前でフリフリしている(笑)
とりあえず買うことに決めて支払いを済ませた。
しかし、高かった…。清水の舞台から飛び降りた心境だ。
そのあとまたPiccadilly Circusに戻ってSt James`s Parkで一休みをして、River ThamesのほとりからBig Benを眺めてそれからぐるぐる歩いて回った。なんとなくこの辺の土地勘がついた。
夕方5時ぐらいになって、Busに乗って帰宅。
家に着くとRenanがHappy Birth dayを言ってくれた。これまた嬉しい!
けど食事中の会話は噛み合わず…。(ごめんよ…)
そのあと家にRenanの友達のFalesが遊びにきた。
Falesはサウジアラビアから17歳の男の子ですっごく気さくでおもしろい男の子だった。
なんとなくRenanの舎弟っぽい感じで笑ってしまった。
ふと気がつくとFalesの着ているTシャツに日本語っぽい物が書かれていた。
それを俺が見ているのに気がついたFalesが
これいいだろ?みたいな感じでTシャツを指さして
「日本語?」と聞いてきたので
「Maybe」と答えると
「そういう意味?」と聞いてきた。
ところがそこに書かれていた文字というのが
栗・本・芽で、それも象形文字と今の文字の中間のようなアバウトな文字だったので答えに危惧していると。
「これっていい意味?悪い意味?」と笑顔で親指を立てて上にしたり下にしたりしているので
「たぶん良い意味だよ、でも古い言葉だから正確な意味はわからないんだ」と答えた。
それを聞いたFalesはとても嬉しそうだった。
学校は隣の駅のHightgateなんだけど、地下鉄よりもバスの方が安いのでバスの定期を買った方が良いと教えてくれた。
バスと地下鉄両方使える定期があるらしいけど、すごく高い。
俺の場合午後まで授業があるので、学校が終わった後ロンドンの中心部CenterLondonまで行く時間もないので地下鉄はその都度買った方が良いとのことだった。
Oysterを買うために書類を書かなければならないのだけど、全部Maryが書いてくれた(笑)
俺英語力ゼロだし…。
その時生年月日を言ったのだけど今日が俺の誕生日だということに気がついた。
MaryとWilliamが「Happy Birth Day」と言ってくれた!
嬉しかった!
MaryとWillが車で一緒に買いにいってくれた。
途中でWillがマックに寄って朝食を買うということになって、マックに寄るとソーセージマフィンが食べたかったらしいのだが、無かったらしく
「Oh my god!!Fuck`n!!」を連発していた。(笑)
Willは体がでかくて、いつもぶっきらぼうな感じの男の子で口は悪いけど悪い奴ではなく、あくまでやんちゃな19歳の男の子なのだ。
その後Willにお金を渡してOystarを買ってきてもらった。(こういうところが優しいんだよね、ちゃんとお母さんを助けてるし)
そのあとすぐそのPassを使ってLondon市内への行き方をMaryに教えてもらって一人ででかけた。
丁寧にMaryがCenterへの行き方を紙に書いてくれて、道に迷ったときのために家の住所と電話番号まで書いてくれた。
(子供扱いの俺…(笑))
とりあえず、Tottenham Court Roadに着いてOzford Stを歩いてみた。
この辺はたくさんShopが並んでいて、たいがいみんなこの辺を歩いて回るみたい。
でも、はじめて歩いているのでここがどこなのかわからず。ガイドブックを片手に歩き回っているとRegent Stらしき通にでくわした。
Rgent Stを歩いているとなんとなく見覚えのある景色が現れた。
見覚えのあるBurberrysがあって、そのうちPiccadilly Circusに辿りついた!
懐かしい三越をみつけて、懐かしいマクドナルドがあって、とりあえずお昼時だったのでマックに入ってみた。
なんとなく懐かしい思い出に浸りながら昼食を取って、とりあえずBurberrysに戻って、母親に頼まれていたお土産を買うことにした。
Burberrysは昔来たときとかわらず、当たり前のことながらあいかわらず高級感漂うお店だった。
店に入って、しばらく店内を物色したのち、勇気を出して店員に話しかけた。
「女性物はコートはどこにあるんですか?」と尋ねると
2階にあると言われたので2階に上がってコートをみてみた。
ところがなんとなく計算してみたら目玉が飛びでるほど高い!
しばらく考えて買うことにした。もうこうしてイギリスへ来ることもないかもしれないし、せっかくだから買おうと思った。
適当な店員さんを捕まえて
「母親へのプレゼントなんですけど、ちょっと着てみてもらえますか?」と頼むと
「いいですよ。私はこれがいいわ、これがジャストフィットよ!」と言ってコートを着て鏡の前で回転し始めた。
(いや、あなたのじゃないし…。)と思いながら
「たぶん僕の母親の背丈はあなたと同じぐらいなので、あはなたに合えば大丈夫だと思います。」というと
「ちょっと袖が長いのよね、でもこうして折って着てもいいわよね」なんてまだ鏡の前でフリフリしている(笑)
とりあえず買うことに決めて支払いを済ませた。
しかし、高かった…。清水の舞台から飛び降りた心境だ。
そのあとまたPiccadilly Circusに戻ってSt James`s Parkで一休みをして、River ThamesのほとりからBig Benを眺めてそれからぐるぐる歩いて回った。なんとなくこの辺の土地勘がついた。
夕方5時ぐらいになって、Busに乗って帰宅。
家に着くとRenanがHappy Birth dayを言ってくれた。これまた嬉しい!
けど食事中の会話は噛み合わず…。(ごめんよ…)
そのあと家にRenanの友達のFalesが遊びにきた。
Falesはサウジアラビアから17歳の男の子ですっごく気さくでおもしろい男の子だった。
なんとなくRenanの舎弟っぽい感じで笑ってしまった。
ふと気がつくとFalesの着ているTシャツに日本語っぽい物が書かれていた。
それを俺が見ているのに気がついたFalesが
これいいだろ?みたいな感じでTシャツを指さして
「日本語?」と聞いてきたので
「Maybe」と答えると
「そういう意味?」と聞いてきた。
ところがそこに書かれていた文字というのが
栗・本・芽で、それも象形文字と今の文字の中間のようなアバウトな文字だったので答えに危惧していると。
「これっていい意味?悪い意味?」と笑顔で親指を立てて上にしたり下にしたりしているので
「たぶん良い意味だよ、でも古い言葉だから正確な意味はわからないんだ」と答えた。
それを聞いたFalesはとても嬉しそうだった。
Notting Hill Carnival
2005年8月28日 さすらい〜股旅
昨日は長旅で疲れたせいか、時差ボケなのか早く寝てしまった。
さらにそのおかげで朝5時ぐらいに目が覚めた。
でもそんな時間に起きていっても迷惑なので、ベッドの中でモゾモゾして結局8時ぐらいに起きた。
下に降りていくと、リビングに見知らぬ日本人がいた。
どうやら昨日ホストマザーのMaryが、日本人がどうのこうの言っていたのはこの人のことらしい。
Japaneseがどうたらこうたら言っていたのはわかったんだけど、てっきりこの近くにホームステイしてるんだと思っていたら、この家のことだったらしい。
Yoshiさんという日本の大学生で、夏休みを利用して1ヶ月留学していたらしい。
俺と入れ違いでこの家を出ていくところだったみたいだ。このあとスペインとイタリアを回って日本に帰るところだった。羨ましい!!
Yoshiさんのおかげで家のルールを教えてもらうことができた。
特にルールらしいものはなかった。洋服は週末に洗濯してもらえるみたいだし、特に外出に関しても言われることはないみたい。
そうこうしているとMaryが帰ってきて、Yoshiさんを近くの駅まで送っていくようだった。
その際、「あなたNotting Hill Carnivalに行ってきなさい!」と言われた。
なんのことかわからない
「私の母親の所に中国人が滞在しているのよ、その子がNotting Hill Carnivalに行きたいんだって、だからあなたも一緒に行ってきたら?」と言っているらしかった。
よく理解できないでいると。
中国人がやってきた。Yoshiさんに助け船を出してもらおうとしていると
Yoshiさんは途中ですまなそうにMaryと出ていったしまった。
中国人(名前忘れた…)もなんだかわからない顔をしていて、「迷惑だった俺一人で行きますよ。」
みたいな感じだったので、せっかくだから一緒に着いていくことにした。
まったく英語のできない俺がいることでかなり困った顔の中国人
(たしかFei君)
Tubeの切符の買い方から乗り方から親切に教えてくれた。
Notting Hillに着くと人がいっぱいで、まだCarnivalは始まっていないようだけど、かなり熱気むんむん。
Carnivalの通るであろう通に向かって人が歩いていたので着いていくことに。
するとものすごい数の屋台があって、音楽がガンガンに流れていてもうすでに踊り狂っている人もいてビックリした。
しばらくすると通の奥からCarnivalの一団がやってきた。
迫力があるわ、浅草のより(笑)
でも、なんとなく単発で、もっといっぱい行列がやってくるのかと思ったら、ポツポツやってきた。
途中で屋台でお昼と買って食べた。カリブ料理?チキンとライスが美味しかった。
Fai君はCarnivalが来るたびに携帯を取りだして、写真を撮っていた。
「これ、いいでしょ?写真も撮れるんだよ!SONYだぜ!」と俺に自慢げに見せてくれた。(笑)
夕方になって、そろそろ帰ろうかということになって家に帰ることに。
Fai君かなりお疲れの様子。俺が英語ができないばかりに彼に負担をかけてしまった…。すまない…。
家に帰るとRenanが庭で何かを書いていた。
何を書いているのかと聞くと
「小説さ、核戦争後の世界を題材にした物語なのさ。マッドマックスって映画知ってるかい?あんな感じのさ」
Renanカッケー
何からなにまでカッケー
(あとあとわかったことだけどRenanは20歳なのだ。見た目どうみても25,6ぐらいの落ち着き)
そのあと片言ながらRenanとロック談義をした。
彼は昔のロックが大好きらしい。
GunsやSKID ROW,VAN HALEN,Queenなどなど
多少俺も知っている名前だったのでなんとか会話ができた。
部屋に戻るって部屋のドアをしめると、ドアが開かなくなった。
しばらく開けようとドアと格闘していたが、まるで開かない。
しかたがないので、庭にいるRenanに「Help me!!」と叫ぶと
Renanが駆けつけてドアを開けてくれた。ちょうどMaryが帰ってきたところで
「このドアは閉めてはだめなのよ」と教えてくれた。
イギリスの家は、リフォームをくり返すようで、ドアなどはものすごい隙間があいていたりする。
俺の部屋もたぶんMaryが自分で壁の色を塗ったのか、天井に塗ったペンキがはねていたりしてなんだかおもしろかった。
しかも鮮やかなピンク色だし…(笑)
夕食の支度をしているMaryが「今日は楽しかった?」と聞いてきたので
「とても楽しかった」と答えた。
そのあとあまりに英語ができない俺を見かねたMaryが子供向けの絵本を俺に貸してくれた。
英語が少しでもできるようになりたい。
さらにそのおかげで朝5時ぐらいに目が覚めた。
でもそんな時間に起きていっても迷惑なので、ベッドの中でモゾモゾして結局8時ぐらいに起きた。
下に降りていくと、リビングに見知らぬ日本人がいた。
どうやら昨日ホストマザーのMaryが、日本人がどうのこうの言っていたのはこの人のことらしい。
Japaneseがどうたらこうたら言っていたのはわかったんだけど、てっきりこの近くにホームステイしてるんだと思っていたら、この家のことだったらしい。
Yoshiさんという日本の大学生で、夏休みを利用して1ヶ月留学していたらしい。
俺と入れ違いでこの家を出ていくところだったみたいだ。このあとスペインとイタリアを回って日本に帰るところだった。羨ましい!!
Yoshiさんのおかげで家のルールを教えてもらうことができた。
特にルールらしいものはなかった。洋服は週末に洗濯してもらえるみたいだし、特に外出に関しても言われることはないみたい。
そうこうしているとMaryが帰ってきて、Yoshiさんを近くの駅まで送っていくようだった。
その際、「あなたNotting Hill Carnivalに行ってきなさい!」と言われた。
なんのことかわからない
「私の母親の所に中国人が滞在しているのよ、その子がNotting Hill Carnivalに行きたいんだって、だからあなたも一緒に行ってきたら?」と言っているらしかった。
よく理解できないでいると。
中国人がやってきた。Yoshiさんに助け船を出してもらおうとしていると
Yoshiさんは途中ですまなそうにMaryと出ていったしまった。
中国人(名前忘れた…)もなんだかわからない顔をしていて、「迷惑だった俺一人で行きますよ。」
みたいな感じだったので、せっかくだから一緒に着いていくことにした。
まったく英語のできない俺がいることでかなり困った顔の中国人
(たしかFei君)
Tubeの切符の買い方から乗り方から親切に教えてくれた。
Notting Hillに着くと人がいっぱいで、まだCarnivalは始まっていないようだけど、かなり熱気むんむん。
Carnivalの通るであろう通に向かって人が歩いていたので着いていくことに。
するとものすごい数の屋台があって、音楽がガンガンに流れていてもうすでに踊り狂っている人もいてビックリした。
しばらくすると通の奥からCarnivalの一団がやってきた。
迫力があるわ、浅草のより(笑)
でも、なんとなく単発で、もっといっぱい行列がやってくるのかと思ったら、ポツポツやってきた。
途中で屋台でお昼と買って食べた。カリブ料理?チキンとライスが美味しかった。
Fai君はCarnivalが来るたびに携帯を取りだして、写真を撮っていた。
「これ、いいでしょ?写真も撮れるんだよ!SONYだぜ!」と俺に自慢げに見せてくれた。(笑)
夕方になって、そろそろ帰ろうかということになって家に帰ることに。
Fai君かなりお疲れの様子。俺が英語ができないばかりに彼に負担をかけてしまった…。すまない…。
家に帰るとRenanが庭で何かを書いていた。
何を書いているのかと聞くと
「小説さ、核戦争後の世界を題材にした物語なのさ。マッドマックスって映画知ってるかい?あんな感じのさ」
Renanカッケー
何からなにまでカッケー
(あとあとわかったことだけどRenanは20歳なのだ。見た目どうみても25,6ぐらいの落ち着き)
そのあと片言ながらRenanとロック談義をした。
彼は昔のロックが大好きらしい。
GunsやSKID ROW,VAN HALEN,Queenなどなど
多少俺も知っている名前だったのでなんとか会話ができた。
部屋に戻るって部屋のドアをしめると、ドアが開かなくなった。
しばらく開けようとドアと格闘していたが、まるで開かない。
しかたがないので、庭にいるRenanに「Help me!!」と叫ぶと
Renanが駆けつけてドアを開けてくれた。ちょうどMaryが帰ってきたところで
「このドアは閉めてはだめなのよ」と教えてくれた。
イギリスの家は、リフォームをくり返すようで、ドアなどはものすごい隙間があいていたりする。
俺の部屋もたぶんMaryが自分で壁の色を塗ったのか、天井に塗ったペンキがはねていたりしてなんだかおもしろかった。
しかも鮮やかなピンク色だし…(笑)
夕食の支度をしているMaryが「今日は楽しかった?」と聞いてきたので
「とても楽しかった」と答えた。
そのあとあまりに英語ができない俺を見かねたMaryが子供向けの絵本を俺に貸してくれた。
英語が少しでもできるようになりたい。